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2014年9月号 | 創明館便り

「夏を生きるセミ、夏を知らず」

これは、この夏、郷里のお寺で行われた盂蘭盆会(うらぼんえ)法要の際、住職に教えていただいた言葉。
「いったいどういうことなのか」と考える自分に、
「セミは地上では夏しか生きていないから夏が分からないのです」とのお話。
四季の移ろいの中で、春を知り、秋を知り、冬を知るなかで初めて夏を夏として理解できるのだ、
というそのお話になるほど、と納得した自分。
住職は、そこから、「平和」というものを考えるきっかけとなる話をされていった。

比較する対象があるから、より客観的に、より相対的に、つまりはより正確に事をとらえることができるのであろう。
より正確に物事を考えようとするのであろう。
人の心を表す言葉「喜怒哀楽」、それらいろんな感情を知るがゆえに人の考えは深まっていくのだろう。
喜びしか知らない人間がいたとしてもその人は喜びを知らず、
哀しみしか知らない人がいてもその人は哀しみを知らないのだろう。
哀しみを知るからこそ喜びを知り、喜びを知るからこそ哀しみを知る。
「そんなこと、当たり前じゃん」なんて声が聞こえてきそうだけど、
そう、当たり前のことだけれども、人が何かを感じ、何かを考える時というのは
いつもその「ある心」、「ある物事」といった対象との比較の中で行われているという事実はしっかりと認識するに値する。
そしてまた、比較の対象がより多ければ多いほど、より客観的な、より相対的な、
より確かな自分の感じ方、考えがもてるということなのだろう。

「知る」「習う」「学ぶ」という人の行う知的な活動は、
この比較の対象を広げていく作業であって、「考える」ために欠かせないことだといえる。
より多くの事を知って、習って、学んでいく作業は「テストのため」でなく自分の頭で「考える」ための作業なのである。

創明館便り
この記事を書いた人
創明館 吉田

塾代表 吉田聡彦 : 練馬区高松(光が丘・夏の雲公園前)にある小学生・中学生・高校生向けのグループ/個人の学習塾を運営しています。
塾運営での想い、感じたこと、発信したいことなどを更新しています。

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