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2017年10月号 | 創明館便り

「月に1度だけピアノの前に座る」こんな生活がここ数年続いている。
ピアノを習い始めて10数年。
始めた頃よりはもちろん進歩を実感しているのであるが、ここ数年は上達の兆しまったくなし。
目標としていた曲をなんとか弾けるようになってからは、まさに「忘却と再認知」の繰り返し。
レッスンなどと言っても当日の朝思い出したことを不十分なまま再現するだけ。
「認知症予防」という大切な新たな意義も先生に教示いただきながら、
普段使わぬ左手の個々の指の独立運動をさせている、そんなレッスン状況である。

 普段は全くピアノに向かわずに、月に1日だけレッスンのその日だけピアノに向かう。
そんな生活をしていれば、傍目(はため)には「向いていないからやめたほうが良い」と思われるのかもしれない。
でも私はピアノが好きである。
調律されずに外れた音を鳴らす我が家のピアノであってもひとたび鳴らすと、
その音の響きに心揺れる時を得る。
先生のピアノを弾かせていただいて感じる、その「響きの違い」に思わず、
自分の下手な演奏が素敵な音を邪魔していると感じもする。

 音の響きを味わうだけでなく、やはり弾いていると、練習していると、
弾くその時間に集中していると「脳の回路のリセット」を感じる。
日常の雑多なこと、仕事のこと、それらを考えている脳から、いとも簡単にシナプスの回路が切り替わる。
「面白い」と感じる瞬間があるから、だから私はピアノが好きなのである。
しっかり練習しようなどという思いにはならない。
必要性を思った時に弾く、それができさえすれば十分である。

 ところがである。
そんな思いで過ごしたこの数年間、まったくの停滞状況にそろそろ自分でも変化を欲する気持ちが最近生まれてきた。
「発表会に出ればしっかり仕上がりますよ」と、先生に言われたことばが以前のように聞き流せなくなった。
「そうなんだよな、目標がないとだめなんだよな」
「目標ができればしっかり練習するのだろうな」
「しっかり仕上げるには発表会が必要なんだろうな」などと自問する瞬間が得られたりしている。

 「目標」というその存在の大きさをしみじみと感じる。
志望校の固まっている受験生達、固まり始めている次期受験生達、
そういった子どもたちの勉強への取り組み方を見ていると、
「目標の有無」と「学習意識の高低」との相関関係は大変強い、と感じる。
受験という人生の大きな節目の目標に限らず、
日常の生活を充実させるには、「目標」設定が必要である。
あたりまえのことといえばそうなのであるが、あたりまえのことを意識させることの大切さを思う。
「発表会に出れば、仕上げられる」ということばのインパクトを考えるとなおさらである。

創明館便り
この記事を書いた人
創明館 吉田

塾代表 吉田聡彦 : 練馬区高松(光が丘・夏の雲公園前)にある小学生・中学生・高校生向けのグループ/個人の学習塾を運営しています。
塾運営での想い、感じたこと、発信したいことなどを更新しています。

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