孫の保育参観に行った。
在籍の年少クラスでの参観は私一人だった。
息子の保育園、学校授業の参観をした記憶がなく、
学校での様子というと、運動会での楽しい活躍を見た記憶しかない自分。
孫の様子を観る楽しみは大きかった。
仕事柄、子供たち、先生の様子に関心がある。
「紙飛行機折って」と繰り返し訴えてくる男の子がいた。
こちら保育参観の身、勝手なことはできない。
一度は「ごめんね」と謝るも、
しばらくしてまた同じ男の子が「折って」と来る。
「この子の訴えに応えなければいけない」と思った自分は、
「あとで、先生に謝ればいい」との判断で折った。
そしたら、別の子も……、「ああ…、ごめんね」…、
断るしかなかった。
年少児、「三つ子の魂百まで」という言葉を思い浮かべてしまう。
三歳の時の記憶は振り返って自身はない。
魂につながったと思える経験は当然思い浮かばない。
「三つ子の魂」って、なんだろう。
記憶はなくても学ぶ、学んでしまうことがあるということか。
「ことばと同じ」ということか。
「母国語」を身につけるように、魂に植えつけられることはいったい何…、
と考えると重たい、「三つ子の魂」である。
2026年7月号 | 創明館便り
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