中学3年の夏休み、私たちバレーボール部員たちは、決まりを破って練習をした。
練習というよりみんなが集まって一つのボールを追いかけた、という程度の事。
3年生として地域の大会で敗退して引退となってからの事であった。
みんなバレーボールが好きで、土のコートで、ひざ、ひじに砂の食い込む擦り傷をしながら、
フライングレシーブ、回転レシーブといった、当時流行の技を練習していた。
夢中になって練習していたから、「負けて引退」ということをみんな受け止めることができなかった。
だから、こっそり夏休みに集まったのであった。
これが後に顧問の先生の知ることとなった。
みんなが好きに集まってすることだから先生も特に問題にしないだろう、
という私たちの読みは全く外れ、先生は激しく私たちを叱責した。
「勉強をする時だ」とのことばに私たちも「勉強はします」と応えたが、認めてもらえなかった。
諦めきれなかった私たちはその後もお願いに行ったが最後まで認めてもらえなかった。
誰もが反発していた。部活の練習だけでなく、授業その他の生活指導の面でも厳しい先生だったから、
注意されることが多く、当時の私たちにとって「好きになれない先生だった」。
そんな「好きになれない先生」の2度の、意外に思ったできごとがあった。
1つは、練習しているコートにきた卒業生と楽しそうに談笑する先生の姿であった。
初めてみる先生のその優しそうな眼にまったくの別人を見る思いであった。衝撃であった。
2度目は私自身に降りかかったできごと。
高校入試、私は先生たちの勧めに従わずに県立高校のみの受験をした。
その合格の報告を担任の先生にした時、予想にもしなかったことばを聞く。
「鬼頭先生(部活顧問の先生)がとても心配していたから、報告に行きなさい」
「えっつ」と思った。
「良かったな」とのことばをかけられ、何と応えられたのか、
記憶にないが、先生の思いを知るできごとであった。
いい先生だった。