高校3年生の時の授業の思い出。
数学の「入試演習」だった。
先生の解説を聞いて納得する自分。
同時に「解説を聞けばわかるけど、
自分では解けないだろう」と思う自分。
この「自分では解けないだろう」という思いは、
「自分は数学が得意でない、
解ける生徒のようにはなれないだろう」
という思いに起因していた。
高校1年生、2年生と数学の授業を受けながら、
「授業が分からない」とか「数学が苦手」
という思いを抱いたことはなかった。
3年生になって、
校内実力テストで
「全く解けそうにない問題」を目の当たりにし、
自分の数学への思いは大きく変わった。
「自分は数学が苦手だ」
「解ける生徒とは頭が違う」
というマイナスの思考ばかり。
そしてそこから生まれた
「数学コンプレックス」、
これが、
「『授業で理解できても
自分では解けないだろう』
という思いを抱きながらの、
授業を受ける自分」を
作り上げてしまった。
いま、はっきりと分かっていること。
「勉強しさえすればよかった」ということ。
入試問題ともなると
その一つの問題を解くときに必要とされる知識、
計算力はかなりのものとなる。
それらをしっかりと身に付けた上で、
それらを順序良く処理していくことで
答案を書きあげることができる。
「勉強する、自分で問題を解く」
この経験の積み重ねの上にしか
答案を書きあげる力は身につかない
ということをしっかりと自覚できていれば良かった。
今、高校生に数学を教えていて、
その根底にある思いは
自分の高校時代の経験に由来する。
「解けない」と思う問題を
「解ける」と思う問題に変えるのは
「学習経験・学習量」である。
「解説を聞いて納得できても、
自分で解ける自信が持てない」
これを解決するには
「自分で問題を解く」
この学習の繰り返しである。
「問題が解ける生徒は
自分の力で問題を解く経験が豊富な生徒である」
ということをまず知ることができれば、
「数学コンプレックス」を抱かない
要因になりうるのだ。
高校数学を教えることは楽しい。
なぜか。
それは、「教えることで気づく問題の本質」に出合えるから。
そしてまた、
「自らの高3時代に苦悩したであろう問題」が
「解くことができ喜びを感じる問題」になっている
そのことから得られる「幸せ」を感じているから。
高校数学に悩まされた経験がある、
当時の自分自身が思い出される、
だからこそ生徒の思いを推し量りながら
私は授業を行う。
そしてそこから私は
「高校数学を教える喜び」を得られている。
「数学の勉強をしたいと思ってもらえる授業」
これが、理想の授業である。
(2015年10月号 創明館たより掲載)