高校生はただいまテスト期間。
自身高校1年生の時の数学の授業で印象に残っていることを思い出す。
一つは「0(レイ)で割る」ということに対する説明。
もう一つは「必要条件、十分条件」の説明。
担任であった数学の先生の授業は、
「誰にもわかりやすく丁寧に」とか
「分かる生徒が少しでもいればいい」、
そのいずれのスタンスでもなかった。
「みんな、考えてみろ」ということを促す授業だった。
いい先生だった。
「0で割る」この説明には驚いた。
まさに高校数学と中学数学の根本の違いを教えてもらった気がした。
「場合分け」の発想を求められる高校数学の深さ、難しさを感じた。
その難しさが面白さにつながっていくわけだが、
その面白さを実感したのは、塾で教えるようになった時からではある。
一方の「必要条件・十分条件」は、まさに「チンプンカンプン」。
そもそも「条件」に2つのカテゴリーをおくことの「?」。
必要なものが「条件」は分かれど、十分なものが「条件」という言葉とともに使われることの「?」。
「必要であって十分でない」「十分であって必要でない」という言葉に、
「条件」という言葉が伴って、まさに「??」。
もやもや感が解消されなかった、そんな印象が残っている。
「こんなこと勉強したって将来使うの?」
これはよく聞かれる、生徒からの問いかけ。
数学に関していえば、
「数学」を通して学び、身に付ける「考え方」は、
数学の勉強から離れてからの長い人生でとても役に立つ、ということ。
数学としてはoutだけど、
抽象的な“幸せな人生”と「必要条件、十分条件」を関連付けて考えてみると、
面白いように思う。
2025年7月号 | 創明館便り
