年度変わりのこの時期、自身の誕生日を迎える。
学生時代、同級生の誰もが自分より先に年齢を重ねた。
春休み中にやっと同級生に追いつくことができる、
そんな学生時代を毎年繰り返していた。
この誕生日、「早生まれ」と呼ばれたりするわけだが、
幼児期、小学低学年時での「幼稚園・小学校」での良い思い出は、なかなか思い出せない。
「登園が嫌で、泣きながら洗濯機と壁との隙間に逃げこんだり」
「授業中、トイレに行きたいと言えずにおもらしをしたり」
「九九が覚えられずに、慌てた思いをしたり」等々、
「集団の中で気後れしていた思い出」ばかりが浮かぶ。
これらが、もしかしたら「年齢・月齢に起因する幼さ」も一因だったのかもと、
大人になってから思ったりもした。
そんな中、私にとっての唯一低学年の時の大きな喜びであり、
誇りであるのが「絵」に関することであった。
小学校1年生の時の担任の先生は、私の描いた絵をたいそうほめてくれた。
「絵を描くのが好き」とか「絵がうまい」とか思ったこともなく、
ほめられたこともなかったから、それは意外だった。
先生が私の絵を見て何やらほめてくれ、写真まで撮ってくれたこと、
そんな出来事が深く記憶に残っている。
この先生のつけてくれた「図工の評価5」は、
今でも私の自慢である。
我が人生、図工・美術の最高評価は小学1年生のこのときだけである。
気後れしている自分だったから「真似をしよう」と思い始めてしまった、
そのことが、つまらない絵を描くようにさせたのかもしれない。
絵を描くのがもともと好きでない自分の「絵の評価を高く得たい」と思う気持ちが、
「無心で描く絵」に優るはずがなかったのだろう、と思ったりもする。
誰にも真似できそうのない「独創的な絵」を描き続け、
高い評価を得ていた息子の描いている時のその姿を思い浮かべると、
その思いを強くする。
「ロボット教室」「ことばの学校」は、
教科学習と離れたところでの自分を感じる良い機会である。
幼児期から小学期にかけて、「周りの集団に追いつけない」と感じていた自分が、
まさしくその瞬間を生きている子どもたちに接している。
そこでは何がしかの自分のカラーを出しているのであろうし、
そうできることの面白さ、ありがたさを思う。
2018年度、開設33周年への新年度が始まった。どのような1年になるのか。
「ゆく河の流れ」の如くに……、そんな思いである。