「過去問」といえば「赤本」。
大変おなじみの「教学社」発行の「大学入試シリーズ」だ。
志望大学の赤本が置かれた机で勉強し、
勉強に疲れては、巻頭書かれた、熟知の大学情報を繰り返し見つめた。
「入学する」その思いでの勉強は苦でなかった。
この赤本の冒頭「はしがき」には、編者から受験生へのメッセージが書かれている。
2016年のシリーズ「はしがき」にはこんなことが書かれている。
『……各大学の出題の傾向には、ある意味で、各大学の校風や
「どのような学生を求めているか」というポリシーが表れているとも言える。
英語や国語の読解問題の課題文を通して、
あることに興味を持ったり深く考えたりすることもある。
また、難しい数学の問題に自力で取り組んで、
答えの道筋がひらめいたときの感動は、何ものにも代えがたい。
……じっくりと問題と格闘することを通して、
身につくもの、得られるものも多いのではないだろうか。…』
入学試験で要求される膨大な学習単元、項目の中から、
志望校の求めている学生生徒となるべく、
受験生にとって「入試過去問学習」は必須である。
ところがである。
これが、学校の定期考査の過去問となると、話は全く異なってくる。
創明館は、学校の「実際の定期考査の過去問配布」または
「一部手を加えた対策プリントなるものの配布」とは全くの無縁で運営されている。
私が塾を始めたころの塾人には同じような考えが主としてあった。
ところが、数十年前、巷で「過去問塾」ということばが聞かれ始め、
「創明館では、学校の過去問を配布しませんが…」などと
塾説明でしなくてはいけない時もあった。
今でも続く、「〇〇中学校の過去問」を集客のうたい文句にしているという業界の現実がある。
塾と学校を対峙の存在と化してしまう弊害と、
その狭間にある子供たちに伝えるべきことは何なのか、
そういう視点を考えられる塾が増えていってほしい。
2025年3月号 | 創明館便り
