大空を滑空するグライダーに、飛行機とは異なる思いを誰しも抱くだろう。
同じように空を飛んでいても、
エンジン付の飛行機とグライダーとは全く異なるものという感がある。
動力によらないで空を飛ぶグライダーは、
飛行機にはない魅力を人々に感じさせている、
と思う反面、
自分の力で飛び出せないし、飛び続けられないという現実を感じさせもする。
「人間には『グライダー能力』と『飛行機能力』が必要だ」
そんな話が『思考の整理学(外山滋比古著)』の第一話に出てくる。
この本は、30年以上前に出版されたものであるが、
今もってよく読まれ、
帯には「東大・京大で一番読まれた本」などと書かれていたりする。
「受動的に知識を得るのが『グライダー能力』、
自分でものごとを発明、発見するのが『飛行機能力』」とし、
「現実には、「グライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、
という“優秀な”人間がたくさんいる」
と氏は書き、
第一話の最後を「自分で翔べない人間はコンピューターに仕事をうばわれる」と結んでいる。
先日、「人工知能の発達で将来人間が仕事を奪われる職業」というものを目にした。
人間は工作機械、ロボットを作り上げ、
このロボットにより高度な知能を埋め込む研究開発を急速に進めている。
数十年後、100年後、人間はいかなる生活を送っているのであろう、
この人工知能の開発競争が何をもたらしていくのだろう。
そんなことを想像するに、はっきり言えることは、
「コンピューターの持つグライダー能力には人間は絶対に勝てないということ。」
知識を与えられ、知識を蓄えることにおいては、人間がコンピュータに優位に立てることは不可能だ。
人間に求められ、人間が職業として活かしていける仕事には、
今後ますます『飛行機能力』が必要とされる、ということは間違いないだろう。
塾という場で考えてみる。
子供たちに『飛行機能力』を培っていくためには、
「自分の頭で考える」という作業・習慣が不可欠である。
この「自分の頭で考える」際に必要となってくるのが、
「考えようとする意欲」と「考えるために必要な知力」である。
この二つがともに備わってこそ、「自分の頭で考える」という作業が可能になる。
塾が「考えるために必要な知力」を身につけさせるべく
「先人の知識を横流しする」だけであっては、その塾の存在価値は薄い。
「自分の頭で考え抜こうとする意欲・姿勢」をいかにして身につけさせていくのか、
生徒個々に対応に思慮する、これが塾人本来の役割なのであろう。
30年来多くの子供たちを見てきた。
その中で確かに言えることは
「時間が多くかかっても、自分で考え抜こうとする人間は伸び続ける」ということである。
与えられることに慣れ、受動的な学習に慣れ、
分からないところは深く考えることもせず人に尋ねる、
といった「グライダー人間」を育てることにややもすると塾業は走りやすい。
自省の思いを抱きつつ、興味深く「思考の整理学」を読み終えた。
「この子は飛行機になれそうである、と感じる瞬間を少しでも多く得たい」。
これが読後の思いである。