本を「読む」、漫画を「読む」、絵本を「読む」はわかります。
ところが「絵を読む」というと、「変だな」と思います。
でも、私は「読む」という言葉の持つ意味を思うに、
「絵を読む」もあながち間違いではないように感じます。
絵本を読んでいるとき見ているのは「文字」だけですか?と、問います。
絵本を読むとき、絵を見ないことはありません。
漫画ももちろんです。
「文字」を脳内で音に変えることだけを「読む」といってよいのでしょうか?
「KY」という言葉をよく聞かされる時が、かつてありました。
「空気を読む(読め)」という意味だと生徒に教えてもらいました。
ほかにも「天気を読む」「時代を読む」「未来を読む」などといった表現をします。
国語の勉強で「行間を読め」、なんていうこともよく聞かされました。
文字に書かれてないことも人は「読む」のです。
書かれていないことを「読む」ということとは一体どういうことなのでしょう。
すると、わかってきます。
「読む」というのは、文字のみにあらず、
「文字に表しえないもの」をも感じ取るということだ、ということです。
和歌に代表される文字の少ない詩を読み、感動し思いを巡らすということは、
そこに「書かれていない何か」を感じ取り、心動かされているということです。
この、「文字に書かれていない何か」こそ、心を動かす原動力なのでしょう。
「天気」「時代」「未来」「空気」といった文字のないものを読むことも、
「ことばの間、行間」を読むことも、日常の生活の経験が大切です。
豊かな日常の経験が「読む」ことを育てているのは確かかと思います。