小学生だった時の宿題で、「昔の暮らしを調べる」というのが出された。
唯一存命だった母方の祖父に話を聞いた。
母の実家で叔父たちと暮らしていた明治生まれの祖父は、
孫たちにとって大変怖くて、
でっかい虫眼鏡で新聞を読んでいる姿が一番の印象だった。
孫たちと会話したり、その来訪を喜ぶ姿を全く見せることはなかった。
「祖父を避けながら」というのが姉弟、いとこたちとの遊びだった。
遊んでいて祖父が大切にしていた盆栽棚にぶつかり、
それを壊し、怒られたこと、それが忘れられない思い出だ。
そんな祖父だから、母同伴でとても緊張しながら、
昔の話を聞かせてもらい、記録した。
ところが、である。
私の質問に答えるときの祖父のあまりにも意外な、
うれしそうに答えてくれる様子が今でも忘れられない。
私は笑う余裕など全くなかったが、
こわいおじいちゃんの笑みをたたえた顔を初めて見た。
戸惑うしかない私だった。
「じいじ」などといった優しい言葉がいつからか聞かれるようになった。
じいじ、じじいその違いは、さてさて?
名実ともに「じじい、じいじ」として生き存在する自分が思うのは、
改めて、時代ってあるんだなっていうこと。
怖かった祖父も今の時代では、「じいじ」と呼ばれて、
孫と遊んでいたのかもと思ったりする。
「時代に育つ」「時代が育てる」、
人間はその生活だけでなく、その心までも、
社会の中で、創造されていく存在だと再認識する。