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2014年11月号 | 創明館便り

『勉強がしたい』という思いを抱いたことがあるだろうか。
親が言うから、先生が言うから、その他周りの大人たちが言うから、
そんな人から言われて行う勉強ではなくて、
自分の素直な欲求で『勉強がしたい』と思ったことがあるだろうか。
「良い点を取ればほめられるから」「良い点を取れば親が喜ぶから」
「○○には負けたくない」といった、自分以外の存在が出発点となる勉強ではない、
純粋に自分が出発点の、『勉強がしたい』、と思ったことはあるだろうか。

私にはなかった。
小学、中学、高校、大学と振り返った学生生活の中で、
私には純粋に自分自身からの欲求で、『勉強がしたい』と思ったときはなかった。
「おなかが空いたからご飯を食べたい」「眠くなったから寝たい」と同じように純粋な欲望として
『勉強をしたい』と思ったことはなかった。
勉強にはいつも目的があり、その動機が存在していた。
何らかのそのときそのときの目標、目的をかなえるための勉強であった。
目標があればこその勉強であった。

 今、私は勉強がしたい。
何かの目的があってそれに向けて勉強をするといったことではなく、ただ多くのことを学びたい、といった欲求が存在する。
だから高校生のように自分の興味関心に関係なくさまざまなこと、教科を教えてもらえる環境が大変うらやましい。
「もっと勉強しておけばよかった」という後悔の思いで、高校生をうらやましく思うのではない。
自分自身の高校時代を悔いるわけではなく、日々通うことで種々の新たなことを学べる環境をうらやましく思う。

 どうしてなのか。
やはり人間は本来学ぶことが好きなのだと思う。
学ぶことで、知ることで得られる納得感は、本能的欲求を満たしてくれる喜びなのだと思う。
「知識を得る」「知恵を学ぶ」この喜びがもたらす満足感を本能として欲しているのだと思う。

「生涯学習」という言葉が言われて久しい。「学ぶこと」は学生時代だけのものではない。
人にとって「学ぶ」という行為は生涯にわたっての「欲求」として存在しているのだと思う。
学ぶ、学ばないはそのきっかけがあるかどうか、
糸口が見つかっているか否かの違いであるような気がする。

 学生時代をすごしているみんなに「勉強を好きになれ」と言うつもりはない。
やらされている感の強い勉強に好感を持つことは無理だ。
ただ、本来人間は、
「学ぶことを好み、それを満たすべく、そのための脳を発達させてきた、進化させてきた動物だ」ということ、
「未来の人間は今より更に脳を発達させた動物になるであろうこと」は知っておくに値する。

日本に生まれ育った私たちは「学びを楽しむために必要な知力」を得るための「教育」を権利として、
その人生の初期段階で受けることができる。
「勉強ができる環境で生きていられること」をありがたいことだと感じることがこの先、きっとあるに違いないと思う。

創明館便り
この記事を書いた人
創明館 吉田

塾代表 吉田聡彦 : 練馬区高松(光が丘・夏の雲公園前)にある小学生・中学生・高校生向けのグループ/個人の学習塾を運営しています。
塾運営での想い、感じたこと、発信したいことなどを更新しています。

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