3月2日は都立高校一般入試の合格発表日。
中学入試、大学入試と来て、最後を締めくくるのが都立高校の一般入試の合格発表だ。
塾として、その年の受験生指導の総決算といえる日だ。
その一日を安堵の気持ちで終えることができ、ホッと一息安らかなときをいただく。
「受験生の『うれしい』」をサポートする役割にとって、
その役割を果たせたことで得られる安堵感、
「よかった」この言葉に、すべての思いが尽きる。
「創明館だより第131号‐2003年12月発行」でこんなことを書いていた。
『自動車のギアには「ニュートラル」というものがあります。
これは、いくらアクセルを踏んでも車は前にも後ろにも動かない状態です。
エンジンをどんなに高回転させても車は動きません。
エンジンの回転をタイヤの回転につなげていくギアが外れているからです。
エンジンだけが回転していてガソリンを消費する状態は効率的でないということになるかもしれません。
ですがニュートラルのない前進か後進かだけの車には乗れませんし、そのような車はありません。
「ニュートラル」は必要なわけです。
人が生きていくうえで、いろんな岐路に立った時、
前進続きでいつしか独りよがりになった時、
後進が続いて自己否定感をもってしまったとき、
そんな時にはニュートラルになる必要があります。
ところが、心をニュートラルにするのは自動車のギアのニュートラル化のような
簡単にできる作業ではありません。
人間が自らの力だけでそれをきちんとなしうるのはとても難しい事だと思います。……』
心のニュートラル化は、自分の頭、心だけではできません。
自分の頭の中身だけで考え、済ませようとすると誤ります。
年度替わりのこの時期は私にとって心のニュートラル化が必要となるときです。
私は好きな山歩きをして心のニュートラル化をします。
自然の中で体を動かすことで得られる心は私にとって掛け替えのないもので、
とりわけ、安堵の思いで山歩きができることは大変ありがたいことです。