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2006年6月号 | 創明館便り

中学1年生の時の思い出である。一人の生徒が学校に来なくなった。
担任の男の先生は、クラスみんなの意見を聞くための学級会を開いた。各生徒からいろんな意見が出され、
ともかく先生と生徒数人で来なくなった生徒の家を訪ねることになった。
彼は私たちと会うことを拒むこともなく、淡々と自らの心境を話した。
敷かれたままの布団の上に座る彼とその布団を囲むようにして私たちが座った。

ありがちな、いじめられたとか、先生が嫌いだとかそういった理由を彼は言うのではなく、
彼の口から出た言葉は、当時の私には強烈過ぎて理解できなかった。彼の言葉は、「勉強がしたい」であった。

彼は、ある宗教を信仰する家庭のなかで育ち、その宗教に関する本を熱心に読み、
学校に行く時間も自分の勉強にとって無駄な時間に思えていたようであった。
中学1年生で、学校で特に目立ったわけでもない彼の意識と行動は、
同じ中学1年生の私たちから、登校のきっかけとなるであろうと思われた私たちの意見、提案をいう機会を失わせた。
先生とて同じの様であった。結局彼はその後も学校に登校はしなかった。

国語を教えていた担任の先生は、学年最後の修了日に、
「自分は教師として失格である。中学を去り小学校の先生としてやり直しをしてみる」と、涙を流しながら話をされた。
生意気な自分は「小学校の方がもっと難しいんじゃないか」と思ったりしたが、
生徒の前で涙を流しながら話をされたのは、12年間の学校生活の中でその先生だけだった。

それから、8年後、私は自ら一番望んでいた職業に就くために上京して入った大学をやめようと考え悩んでいた。
かなり自分の気持ちが荒れていた時だった。
そのとき、私はその先生に初めて手紙を書いた。
先生が、当時私に送ってくれた言葉がその後も私の生きていくうえでの大きな支えになった言葉だったからである。
先生からの返事がなかったことで、わたしの気持ちは揺れたが、後に友人から、先生が返事に悩んでいたと聞かされた。
授業の思い出はまったくない先生であるが、一番思い出に残っている先生で、
かっこいい生き方をされていたなと思う。
自分を認めてもらえたことがその後の私の生きていくうえでの大きな支えになった。
今でも、忘れられない、心の底に居続ける先生である。(吉田)

創明館便り
この記事を書いた人
創明館 吉田

塾代表 吉田聡彦 : 練馬区高松(光が丘・夏の雲公園前)にある小学生・中学生・高校生向けのグループ/個人の学習塾を運営しています。
塾運営での想い、感じたこと、発信したいことなどを更新しています。

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