私は、高校卒業と共に東京にでて来ました。
地元の大学に進学する生徒の多い土地柄でしたが、私のなりたい仕事につくためには、東京にでてくる必要がありました。
自分の将来の夢の実現のためという目的と共に、私には生まれ育った家から出たいという強い気持ちもありました。
高校生の自分にとって、自立に向けてといった、しっかりとした意識があったわけではもちろんなく、
ただ、親のもとでの生活がすごく嫌で耐えられなかったからです。
家庭というところは、お互いがとても近いところで生活していますので、幼く保護されている間はよいのですが、
自我が生まれてくると何かと障害が生まれて参ります。
親に対する幾多の反発と共に家を出て、東京での生活を始め、生まれてはじめての寮生活を通して、はじめて私は自分の生まれ育った家庭を客観的に眺めることができました。
生まれ育った家庭を客観的に眺めることは子どもにとってとても大切なことだと思いました。
その後、自分が家庭を持ち、我が子とのその親子の関係を思うに、
親子というのは近すぎてなかなか客観的に眺められないなと感じます。
親が思う以上に子どもは確実に成長しているという現実が、なかなかうまくとらえられない自分を感じます。
理屈として理性としてわかろうとしても、感情が育っていないのだと思うのですが、
近くにいすぎてあまりにその生活が見え過ぎて、お互いがお互いを客観的にとらえにくくしてしまう面が親子にはあるように思います。
家庭内での事件が多く発生しています。
いろんな原因がもちろんあるのでしょうが、近すぎてお互いに相手の実像がはっきり見えていないことを
親子はもっと知るべきであって、親子が互いに相手の実像が見えないことは当たり前であって、
互いが完全にわかり合うことのない別の人格であることをしっかりわきまえる必要があるのだと思います。
反発を感じて飛び出した家庭ですが、私の人生の選択になんら注文をつけなかった親に対して私は親の偉大さ、
有り難さを感じています。(吉田)