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2017年11月号 | 創明館便り

幼少期を終えて半世紀近くたっても、「原体験」その存在の大きさを感じる。
もしかすると年月を経れば経るほど意識するものかもしれない。 
「原体験」とは、『人の思想形成に大きな影響を及ぼす幼少期の体験(広辞苑)』 
『記憶の底にいつまでも残り、その人が何らかの形でこだわり続けることになる幼少期の体験(大辞林)』のことである。

「一人遊びが好きで、手のかからない子」というのが親の言う私の子供時代。 
今では「一人遊び」というと、「ゲーム」を連想されるのだろうが、
そんな「人を楽しませること」を目的とした道具ではなく、
大人たちの使う生活道具であったり、
舗装されていない路地の地面そのものであったり、
近所の工場にあった工具や機材であったり、
日常の生活の中に遊び用に用意されていない用具、場所を利用して遊ぶのが日常であった。

 家の中で印象に残っているのは、「風呂焚き」である。
私は「風呂焚き」を好んだ。
家事の役割分担であったが、それは私にとっては「楽しみな面白い遊び」であった。
裏庭に積まれた薪を斧で割って、風炉釜の下にある炉に入れて、燃やすのである。
焚き木の組み方を考え、燃え方、炎の様子を眺めつ、灰をかい出す。
そんな作業であるが、日々そこには変化があったのだろう。
飽きずに炎をぼーっと眺めてそこに何やら安らぎを感じていたようにも思う。
5年生のときの転居でガスで沸かす風呂になってから、その役割は失ってしまったが、
新天地で得た「自然と触れ合うことの多い生活」も、
我が「原体験」として、その後の進路、生活に影響を及ぼしたことは間違いない。

 「子どもたちの生活体験」が乏しくなっている、と言うのは間違いないことだろう。
生活環境が昔と大きく変わってきて、
子どもたちが「自分で考え、思いつき、行動し、学んでいく」というシチュエーションが明らかに減ってきているのだろう。
「生活体験の減少」がもたらすものを、仕事上の立場で考えると、
それは「想像力の欠如」につながり、それは日本語にしろ、英語にしろ「文章読解力の低下」につながる。
語学に限らず、「お金を持って買い物に行く」という経験を通して
「お釣りをもらえた」「何円足りない」などと子どもたちは「算数」を学んでいくが、
「コインレス」「現金レス」化が進み、「硬貨、紙幣」と触れ合わない社会が進んでいく中で、
実体験から学ぶ算数というものが一つ少なくなっていくような気がする。

 社会の変化は大人社会が導いてきたものであって、
そこに失われていく必要なものが存在するならばそれを提供していくのも大人の大切な行動なのだろう。

私なりに、自分の原体験の影響を受けつつ、子どもたちと関わっていこうと思う。

創明館便り
この記事を書いた人
創明館 吉田

塾代表 吉田聡彦 : 練馬区高松(光が丘・夏の雲公園前)にある小学生・中学生・高校生向けのグループ/個人の学習塾を運営しています。
塾運営での想い、感じたこと、発信したいことなどを更新しています。

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