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2018年1月号 | 創明館便り

「夢を見た」それは過去の体験であり実感である。
「夢がある」それは未来への希望であり抱くものである。
同じ「夢」どちらも「DREAM」日本語も英語も同じことばで表現する。
ちょっと違和感。どこでつながるのか。
「見た夢と見たい叶えたい夢」ともに「今ここ」には存在しないものであることの共通点、
そんなところでつながっているのだろうか。

 「大きな夢を抱いて邁進しなくては」なんて大上段に構える必要なんてないし、
自慢できそうな誇れそうな「私の夢は○○だ」などということのために夢を探すなんて事は必要ない。
『少年よ、大志を抱け(Boys,be ambitious.)』(クラーク博士)の言葉は有名で、
私も子供の頃から見聞きする機会が多い言葉だった。
でも正直、「大志」という言葉に引っ込んでしまう自分しかいなかったし、
一部の人たちへの言葉なのだろうという受け止め方であった。
最近になってクラーク博士のことばの続きと言うものを知った。
受け止め方の問題であったと今では思っている。

「夢」を抱くことの大切さ、その効用とも言うべきものは
「心の負の連鎖」からの解放にあると私は思う。
「自己と他者」「肯定と否定」それらの組み合わせの中で、
「自己肯定他者否定」と「他者肯定自己否定」という全く正反対のもののように思われるこの二つが、
心の動きとしては同じことのように思う。
「他者を否定することで自己を肯定しようとすること」においても、
「自己を否定する中で他者を肯定しているかのように思い込むこと」も、
そのどちらにおいても心のざわめきは存在する。
同じ立ち居地にならないと心は落ち着かないはずなのにである。

 心の安定が一番得られるのが「自己肯定他者肯定」である。
では「自己肯定」と「他者肯定」そのベースにまず必要なものは何かといえば
それは「自己肯定」である。
「自己への肯定感」なくして「他者への肯定感」はその根源においてありえない。
そんな「自己肯定感」を高めるのに最も有用な効果的なもの、
それが「夢」である。

「大志」を抱く必要なんてない。
小さな「夢」を持てばよい。
その小さな夢の効用のその大きさを感じることができれば「次なる夢」につながっていく。
「夢」を抱いている自分と抱いていない自分のその心の違いを感じることができれば、
「夢」の効用を実感することになる。
「自己肯定感」が下がっているときにこそ「夢」が大切であるということ、
それに気がつくことは大きなことである。

新しい年が始まった。
止まることのない永遠の時の流れの中に
「暦」というものを生み出したのは
まさに人類の大きな大きな英知である。
この新年の始まりというこの瞬間に「夢」を考えてみてはどうだろうか。

創明館便り
この記事を書いた人
創明館 吉田

塾代表 吉田聡彦 : 練馬区高松(光が丘・夏の雲公園前)にある小学生・中学生・高校生向けのグループ/個人の学習塾を運営しています。
塾運営での想い、感じたこと、発信したいことなどを更新しています。

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