高校に入って、数学の授業を受けてのショック、「難しい」。
先生の「ぼそっ」と出るその言葉の意味を
理解しようと考えている間に授業は先にどんどん進んでいく。
みんな真剣、中学のときのような余裕は全く生まれない。
高校って大変なところ、そんな実感。
わからないところを教え合うなんて雰囲気は、
入学間もない高校生に生まれはしない。
きっと多くの生徒がその難易度の中学との違いに驚いていたのだろうと想像する。
授業を理解し、課題をやりこなすことでテストの得点につながった中学の時と違って、
高校のテストで高得点を取ることは難しかった。
理由は簡単で、「授業や課題でやることのみの理解、習得で良し」と
判断していた自分であったからだ。
中学の時と同じような気分のまま、高校の授業を、勉強を捉えていたからだ。
「勉強はした、でも得点は取れない。」
授業でも問題集でもみたこともないような問題にテストで出合うのだから、「どうしようもない」。
ただ、そんな思いの中、高得点を取る級友たちがいる。
そんな級友たちをその才能ゆえと思い、
「自分は数学が得意でない」と思わせられる場面を多く経験した。
2年生、3年生と学年が進んでいっても自分の学習姿勢は変わらなかった。
数学が得意だ、という意識とは遠く離れたところで高校生活を送っていた。
そんな高校生活を振り返り、
あのとき、「市販の問題集、参考書を買って勉強しさえすれば全く違ったのであろう」と思い知る。
「テスト問題は入試に向けての先生からのメッセージ」であったのだろうけど、
メッセージをネガティブに受け止めることしか自分にはできなかった。
前回「数学検定」を受けてから10年も経ってしまった。
今回、また受検をすることにして、テキスト、問題集を揃えた。
その中の「数学検定準拠テキスト」を執筆の方が以前、お世話になった方であることを知った。
そのお人柄までも知る私にとって、
また自分にありがたい大切な言葉をかけて頂いたその方の執筆ということで、
勉強の意識の支えともなっている。
「合格する」その目標は私にとってのある目的をかなえるための必要なステップである。
そのための勉強は楽しい。
知らない世界がどんどん広がる、その面白さ。
理解したときの喜びは深い、解けたときの悦び、まさに悦に入る。