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2007年10月号 | 創明館便り

大学時代に、インド、ネパールを旅行しました。
日本と比べるとはるかに生活費はかからないで過ごせましたので、
約40日間インド、ネパール国内を転々と居を変えながら過ごしていました。
初めての海外旅行で、私が一番感じたことは、
「自分は、日本で生まれ、日本人として生きてきて、日本人の価値観、感覚にどっぷり浸って生きてきたな」という実感です。
こんなことがありました。

私は、タージマハールで有名なアグラから、ガンジスの沐浴で有名なバラナシに列車で向かっていました。
すると列車が突然停車。あまりにも長く停まっていたので、私は、これからの自分の行程を思い、苛立ちを感じていました。
でも、同乗しているインド人の乗客は皆、何事でもないように平然としているのです。
私の問いかけに「エンジン ブロウクン(壊れた)」とだけ発して、平然と動き出すのを待っています。
待つことに慣れているインドの人々、慣れていない自分。
生活習慣、文化が人間を、そして私自身を作り上げていることを身をもって感じたときでした。

こんな昔のことを思い出したのは、最近「待つ」ということに関しての文章に触れたからです。

『子供の心は、樹木の年輪が刻み込まれるように、段階ごとにゆっくり〈待つ-待たれる〉時間の中で醸成されながら形成されていくものである。
…親は“ひたすら待っていることも忘れて待つ”のであり、そうすれば子供は、メロスが走ったように、
“親に待たれているから、自分の目標に向かって必死に生きる”はずなのだ。
…「育児」にも「教育」にも“待つ”ことが求められるはずなのに、
現代の流れそのものが前傾姿勢や先取り的になっているからだろうか、
〈待つ-待たれる〉関係にはなっていないように思えて仕方がない。
子供を思いとおりにしようと追いつめていくせっかちな親も、子供の現実を見極めようとしないのんびりした親も、
ともに何も待ってはいない。
だから子供は、自分の人生を必死に走ろうとしないのだと私は思う。
メロスは、自分を信頼して待つ親友のために、命がけで走ったのだ。
わが子が自分の人生を一生懸命生きるよう、親は子供を信じてひたすら待っていただきたい。』 (勁草学舎主任カウンセラー  井澤真智子)

親子が、一緒に日々暮らせばいろんな状況が生まれています。
ここは絶対に待つことはできないと判断することも当然あります。
親として、「これだけは伝えておきたい、待っていられない」と考えることもあります。
ただ、伝えることはあっても、子供自らが「考え、行動する」のを「待つ」姿勢は親として必要なのだと思います。
この文に触れて、私は2、3日前のわが子との言い争いを思い出しました。
私の考えを頑として受け入れようとしない子と対峙して、子の主張にある面納得しえても、
「子を信じて待つ」それができなかったせっかちな自分をあらためて見つめるきっかけになりました。  (吉田)

創明館便り
この記事を書いた人
創明館 吉田

塾代表 吉田聡彦 : 練馬区高松(光が丘・夏の雲公園前)にある小学生・中学生・高校生向けのグループ/個人の学習塾を運営しています。
塾運営での想い、感じたこと、発信したいことなどを更新しています。

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