その再会は、どきどきであった。
およそ25年ぶりの再会は、授業をしながらも落ち着かない自分を私に感じさせていた。
再会のお相手は創明館創立期の卒塾生であった。
現在地に移転する前を知る数少ない卒塾生の一人である。
開設初年度の中学1年生だった彼女がお母さんとなり目元がそっくりな、
やはり中学1年生の息子さんを連れての面談であった。
お母さんともいろいろ話をしたいし、かといって用件の最たるはお子さんの入塾のこと。
お子さんの前ではお母さんだしとはいえ、かつての思い出よぎる卒塾生だし、
といった複雑な思いで話をしながら、不思議なそして幸せなひと時をいただいた。
1986年2月に光が丘第一中学校近くの運送会社の社員寮の4室を借りて「創明館」はスタートした。
4か月ほど勤めた塾の講師経験から「自分の塾を創りたい」そんな思いではじめた塾であった。
いろいろと試行錯誤しながらの塾運営もやはり若かりし頃のこと。
不安や落胆、後悔といった思い出のほうが多かったような当時。
そんな当時の卒塾生がお子さんを連れて、訪ねてくれたこと、それはそれはうれしいうれしいできごとであった。
年を越して2月を迎えれば、創明館の30歳の誕生月だ。
30年後なんて想像もできなかった設立時の私にとって大きな節目であって、
受験期・発表期とも重なる誕生月をいかなる思いで迎えうるのか、
とてもとても大切なこれからの3か月間である。
「○○周年 ご愛顧に感謝して○○キャンペーン」なんてフレーズは陳腐な違和感を感じさせるのではあるが、
長い期間、練馬区高松のこの地で生計を営ませていただいたことへの感謝の思いを
何らかの形で表したいと思っている。
ともあれ、節目はそこまでの軌跡の証であるのだけれど、
間断ない軌跡のスタートラインであることも確かだ。
船尾から眺める航跡は視界の遥か遠くにあるけれども、
ブリッジ(船橋)から眺める光景は静かな海原を切り裂くがごとくの船首である。
静かな海原が続くなんてことはあり得ず、
時に上下に左右に船首を激しく傾けながら「Go Ahead(前進)」し続ける船のごとく、
次の節目に向け、常に「GO Ahead」である。