2012年12月号 | 創明館便り

中学時代、一番印象に残っている授業は「音楽の授業」である。
3年間ずっと担当していた音楽の竹内先生の授業は「歌」と「音楽鑑賞」のみ、ともいえる授業であった。
「歌」の授業では、ふだんとてもおとなしい感じの先生の熱気満々の迫力あるタクトの振りに、
そのギャップに、思わずみんな大きな声を出して歌っていた。

また多く行われた「音楽鑑賞」の授業で先生の行うことといえば、
曲名を黒板に書き、電動の暗幕を操作し、レコードプレイヤーとアンプを調整し、
およそ家では聴くことのできない大音響で、でっかいスピーカーから音楽を流す、ということだけだった。
感想を尋ねることも、曲の解説をすることもなかった。
私たち生徒達は暗闇の中だから、当然眠くなるし、階段教室のその机の上に組まれた腕を枕に眠りにつくのである。
音楽を真剣に聴くというその姿勢とは裏腹に、誰もがうとうととしながらの授業で、
およそ鑑賞と呼べないのではないかと思われる授業であった。
こんな授業だから私は音楽の授業が好きだったし、
きっとそれは他のみんなもそうであったのではないかと思う。

おかげで、音楽の理論的なことは知らないまま大人になって、
塾の子供達が考査前に勉強している音楽の勉強を「こんな理屈があるんだ」と感心して学ばせてもらうと同時に、
音楽教育の多様性が許されていることのありがたさを感じる。
音楽の理論を教えられた記憶はなくて(忘れただけなのかもしれないが)、
音楽の楽しみ方を教えてもらったということの印象が大きい授業だった。

私が音楽の授業を中学時代の印象に残っている授業として思い出す理由は、
「寝ているだけでよかった」という安易さによるものではない。
私は、授業を通して得たもの感じたものを日常に持ち込むことになった。
当時は「歌謡曲、フォークソング、ポップス」といった音楽が私たち中学生の関心の対象であった。
そんな私たちに「クラシック音楽」というものに触れさせてくれ、
それを暗闇の中で聴くということを教えてもらった。
ベートーベンの「田園」を授業で鑑賞した日は、帰ってすぐにレコード店に行き、
貴重なお小遣いの多くをはたいて、学校で聴いたばかりの「田園のLPレコード」を購入した。
もちろん先生が購入を勧めたわけではない。
自分が授業で感じた「心が引き込まれていくような感覚」に感動し衝撃を受けて、自分で再度聴いてみたいと思ったのである。
店から帰って、部屋の雨戸を全部閉めて真っ暗な中で「田園」を聴いた。
高校に進学して聴く音楽が変わっても、暗闇で音楽を聴いて楽しむことは続いた。

授業を通して得たものが、生活に影響を与え、生活そのものに入り込んでいく、
こんな授業は自分の学生生活の中でわずかであった。
これこそ「音楽教育」だなと私は思う。
音楽に助けられることが多かったことを思い返しても、当時の竹内先生の音楽の授業への感謝の想いが沸いてくる。 

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この記事を書いた人
創明館 吉田

塾代表 吉田聡彦 : 練馬区高松(光が丘・夏の雲公園前)にある小学生・中学生・高校生向けのグループ/個人の学習塾を運営しています。
塾運営での想い、感じたこと、発信したいことなどを更新しています。

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