「自分は教師として失格だ。だから小学校でやり直す」
と私たち生徒の前で涙しながら、中学1年生のときの担任の先生は、
終了式の後に話した。
先生が涙する姿を見るのは初めてで、
瞬間、私が思ったことは「小学生はやり直しする対象なのか?」ということ。
先生は私のことを支えてくれた、
いまでも支えてくれている心の中のすばらしい先生だけど、
当時の自分は先生のその言葉を理解できなかった。
どうして先生は教師失格と思ったのか、その理由は今でもわからない。
当時、一人の不登校の生徒がいた。
ある宗教の教えに深く共感し、
学校での勉強の意味、その価値を疑問に思う彼だった。
「もっと自分の勉強がしたい」と学校に登校して学ぶことよりも
自分の学びたいことの勉強をしたい、せざる得ない、
そんな彼だった。
中学1年生であったことを振り返ると、今の私には驚きでしかない、という彼だった。
担任の先生は彼の登校を促すべく
私たち生徒に「どうすれば登校させられるのか?」という難しい問題を
私たちに提供、そして考えさせた。私達数名のクラスメートは、
先生の言われるがままに、その生徒の宅に向かい、
布団の上にいる彼に私たちクラスメートのメッセージを伝えた。
思うに「心に届かない響かないメッセージ」の代表的なものであったような言葉を
彼に話したように思う。
結果は明らかだった。
自分たちの想像していた不登校原因よりも
深く登校の意義、意味を考えている彼に対して私達は、
「自分たちの考えているレベルと彼の考えているレベルはかけ離れている」
ということを感じただけだった。
彼の考えていた精神的レベルは私たち中学生からして、理解できないものだった。
「頭が良いと言われる生徒群」から離れていた彼から発せられる意外な言葉に、沈黙しかなかった。
彼の登校はなかった。
私達は当然と思い、思わざるを得なかった。
そんなことが原因だったのか。
担任の先生は翌年、中学校の教員から離れた。
先生は「教師として失格だ」と言って、私たちから離れていった。
だけど、その先生に自身言われたことが45年たっても自分の心の支えとして残っているのだから、
先生は私にとって深く感謝する恩師である。