誰もいない深夜の海岸で、海を眺め、波の音を聞く。
これが高校時代の自分にとっての年明けの行動だった。
「紅白歌合戦」が終わり、「ゆく年くる年」で除夜の鐘の音が流れ始めると、
バイクにまたがり海に向かった。
海に向かって新年の抱負、願いを思った。
海岸が自分にとっての願いの場所だった。
海そのものが願いの対象だった。
母親が、昇る太陽に手を合わせている姿を見たのは
母親の体から生まれて、
50年以上たった時だった。
偶然に目にしたその姿を見て感動した。
お天道様(太陽)に手をあわせるその姿に感動した。
人には見せないようにしていたようだった。
仏壇に向かって毎日手を合わせていた母親の思いと、
お天道様に手を合わせる思いの底を聞きたかった。
新しい一年が始まった。
今年も「夢」の賀状を送付することができた。
「令和6年 辰年」の始まりだ。
新年の始まりが祈願のきっかけになることが、
新しい年の始まりの意義かと思う。
その意義を確かめるかのように、
人それぞれがそれぞれの思いを新しい年に込める。
令和6年、何を願うか?
願いの先の思いとは?
その先の夢とは?
そんなことを考える年明けだ。
『新年 あけまして おめでとうございます』 令和六年