小学生の時の夏休み、
親から自分に課せられたことは
「家事」と「昼寝」だけだった。
家事といっても自身好んだ薪での「風呂焚き」で、
夕刻のいっときだけの事。
「昼寝」も日々の課題で、
風の抜ける廊下にバスタオルを敷いて、
その上に横になることを強制させられた。
眠りにつけないで悶々としつつも、
扇風機の回る音が子守唄となり、
眠りに誘ってくれた。
夏休み中、他に何かを課されることはなかった。
ひまな時間が大変多いから
「何をしようか」
と考える時間に大変恵まれた。
「ぼーっと過ごす」
そんな時間にも大変恵まれた。
いろいろと考え、
感じる時間に恵まれていた、とも言える。
「『何をしようか』と考えることが大切だ」
なんて言われるほど、
忙しく時間を過ごしたりしている今の子どもたち。
自分の立てたスケジュールの中で、
主体的な判断の中で時間の過ごし方を決め、
忙しくしているならば良い。
でも、そうではなかったりするのも現実だ。
主体性を持ち、自己決定できる度合いが高いほど
「幸福度」が高い
という調査結果があるようである。
「ひまな時間の過ごし方」を
自己決定することも大切だ。