「仕事をしているとき」が「ON(オン)」、
「プライベートな時を過ごしているとき」が「OFF(オフ)」ということで、
「ON、OFFの切り替えが大切である」とよく言われる。
どんなに好きな仕事であっても、
どんなに気楽な立場にあっても「仕事(ON)に緊張はつきものであって、
その緊張から心をほぐす時間(OFF)の存在は大切だ。
OFFの充実が次のONにエネルギーを与えてくれるからである。
仕事に限らず、すべての人にとって、
その生の瞬間においてONとOFFが存在して、
学生にとっては、学校で過ごす時間はONで、
プライベートな好きな時間を過ごしているときがOFFといえるだろう。
学校内であってさえも、授業に集中して学習している時がONで、
休み時間の自分の好きに過ごしている時間はプチOFFといえるのかもしれない。
「ON-OFF」をより大きなスケールで捉えたのが
「日常と非日常」ということであろう。
日常の生活の中でOFFが大切なように、
日常そのものからの解放である「非日常」も生きていくうえで大切だ。
「非日常の存在が日常を充実させる」のは確かである。
私にとっての最も必要な最も好きな「非日常」は「山歩き」である。
その非日常の時を過ごしたのち「非日常性が与えてくれた変化」に気づく。
そしてそれが次なる「山行」を私に誘い、
「○月○日に○○山に行く」との思いが日常にエネルギーを与えてくれるのである。
「自分なりの非日常の時を持つ」ことは
「生の充実」につながる大切な事のようである。
「ON-OFF」「日常―非日常」その両極の存在が「現実」の充実をもたらしてくれているのは確かで、
「OFFの時間」「非日常の時間」を意識的に取り入れることは必要である。
「ON―OFF」も「日常―非日常」も「現実」の中にある大切な対極なのである。
ただ今のトレンドになっているVR(ヴァーチャル リアリティ:仮想現実)は、
どうやら、現実との対局ではなく、現実社会に入り込もうとしている。
「ポケモンGO」というゲームが象徴する「現実社会に非現実を持ちこむこと」は、
はたして人間の幸福感を高めることにつながるのか、と疑問に思う。
「楽しい」ということだけで済むのだろうか。
「仮想現実という非現実の世界」に触れていく人間が、
その脳を正常にコントロールできるのか?
人間の持つ心そのものが仮想現実に耐えられるのか、などと思いめぐらす。
人類の脳の進化がいずれはそんな危惧を吹き飛ばすのかもしれないが、
ただ、今現在「仮想現実」が生まれ始めた人類史の今という瞬間、
多くの人間がその「仮想現実」に対応しきれない脳であるのが現実かと思う。
心が動くことを「感動する」と表現する。
そして、その深い感動に包まれ大きく心動いた瞬間が「心を育てる」のかと思う。
「感動は現実社会の中にしかない」と思うに、やはり私は「VR」は「?」である。