自宅の銀杏(いちょう)の新芽が芽吹いていた。
ふと目にした発見、そして感動である。
当然のことで、光が丘のいちょう通りに見られるような巨樹ではない、宅内の小さな盆栽である。
その銀杏の新芽がまさに銀杏の葉の形のまま、その相似形のかわいらしい新芽を披露している。
冬の間、その枯れ木のようなその盆栽のその光景に見慣れていたわが目へのうれしい報せであった。
春になったのだ。
「春は花」とばかりに桜を筆頭に花の美しさが称賛されることが多い中で、
新芽の美しさ、可憐さは全く引けを取らない。
何より、新芽との出合いは、
まさに「邂逅(かいこう)」そのものであったりすることがうれしい。
4月になった。新年度が始まった。
年度開始が4月という日本の風習はまさに日本の風土に合致している。
冬の間、葉を落とし寒風に耐え忍んできた、
その樹木の生命の力をここぞとばかりに発散する、
それが芽吹きである。
進学先での入学式、在籍校での新クラス、
そして社会全体が新年度を迎えるこの4月、まさにそれを応援するかの新芽の姿である。
その姿を目にし、勇気づけられたり、励まされたり、癒されたりと、
私は新芽を見つめることが好きである。
大きく成長した葉には感じることのできない、
その生命力から得られるエネルギーは大変ありがたい。
「新芽の時期というその瞬間」であればこそ、
その有り難さをありがたく思えるのである。
中学、高校、大学とそれぞれに人生の新しい門出を迎えた子供たちにとって、
その門出のこれから先にある新生活のそのすべての青春を、思いっきり享受してほしい。
楽しいことも、辛いことも、幸せな事も、苦しいこともそのすべてが、
「青春時代のそのすべて」がやがては「人生の大切な思い出」になってくる、それが青春時代である。
歌のフレーズ、
『青春時代が夢なんて あとからほのぼの 想うもの 青春時代の 真ん中は 道に迷っているばかり』
そんなフレーズに「確かに」と納得する。
と同時に、「思い出の宝庫」を作ってくれる青春時代をまさに思いっきり謳歌(おうか)してほしいと思う。
「与えられること」それだけに留まっていてはもったいない。
「自らの考えで自ら行動する」失敗しても躓(つまず)いてもそのすべてが大切な思い出となる貴重な前途に、
「謳歌しよう青春」とエールを送らせてもらいます。