小学5年生のとき当時流行の自転車を買ってもらった。
方向指示器がついていて「ピピピピ」という音とともにシグナルが光る「かっこいい」自転車だった。
思い返すと親に買ってもらった生涯最もうれしい品物だった。
雨の日はもちろん乗らなかったし、
しばらくは畳敷きの部屋の中に新聞紙を敷いて、部屋の中で磨いたりしていた。
東京のように交通機関の発達したところではなかったし、
お小遣いで交通費を出すのも大変だったので、
自転車が私の生活範囲を広げてくれた大変ありがたいものだった。
愛知県の知多半島の付け根あたりにある町で、小学5年生から高校卒業まで過ごした。
15キロほど行くと海岸に出ることができたので、自転車が手に入って真っ先に向かったのは海だった。
海を眺めるのが好きだった。
中学1年生の夏休み、友達数人と知多半島一周サイクリングをした。
海岸堤防を走っているときに誤って、釣り竿を引っ掛け怒鳴られたこと、
かなり疲れたことなど、懐かしい思い出だ。
2年生になると自転車でいける距離の限界を感じ、オートバイに乗りたくなった。
免許もバイクも持たないのに、バイクの雑誌を夢中で眺めていた。
高校に入ってまずバイトを始めた。
教習所に通う費用、バイクの購入費、ガソリン代を稼ぐ目的だった。
部活動をやっていたのでバイトは学校に行く前だった。
ヤクルトの宅配のアルバイトを高校卒業まで続けた。
途中から、販売店を任せられ、配達・発注・集金作業などもするようになった。
高校時代の一番の思い出は「オートバイ」である。
バイトをしてバイクの維持をしながらあちこちと出かけた。
京都の金閣寺に行って、拝観料を持ち合わせずに中に入れなかった。
冬の日本海を見に行こうと向かった福井県で車と接触事故を起こして断念。
バス停留場で風をしのいで一夜を過ごし、
折れたブレーキレバーで苦心しながら自宅に戻り、入った風呂の感激。
たくさんの思い出を与えてくれた。
修理するたび、バイクへの愛着は深まっていった。
バイクに乗りたくてバイトをする。部活もする。
自分の高校生活は「3B(バイク・バイト・ブカツ)」であったと思う。
ここにもう一つのB(ベンキョウ)が入ることはなかった。
今私は、「高校時代に勉強のおもしろさも知りたかった」と思う。特に数学。
当時の私は特に数学が好きであるわけではなかった。
嫌いであったわけではないが、授業を聞いてテストを受けて評価を受けて、という流れの中にいただけだった。
高校3年生のときの最後の校内実力テストで私は衝撃を受けた。
自分は数学ができないんだと自覚させられた。
大学の「解析学(微積分)」の授業を受けてますますその思いは深まった。
でも今にしてはっきりと思う。
「勉強をしなければできないのは当たり前」「勉強しなければ数学のおもしろさは分からない」
「数学のできる子は勉強をしている」ということを。 (吉田)