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2013年7月号 | 創明館便り

7年ほど使用した携帯電話が調子悪くなったので昨年秋買い換えた。
スマートフォンのオンパレードの陳列を通り過ぎ、
向かった先は脇にわずかに設けられた「ガラ携」こと従来からの携帯電話コーナー。
機種は決めていたので、すぐさま購入、機種変更手続き。
スマートフォンの便利さは見聞きしていたが、購入意欲はなかった。
そもそも、携帯電話のなかった時代をよき時代と懐古するような人間だから、
スマートフォンの快適さ・便利さも魅力を感じない。
というより、便利さの代償で失われていくと思われるものを危惧するから、所持することが怖いというのが確かな思いだ。

一度その便利さになれてしまうとその便利さを手放すのができなくなってしまうのが人間だ。
世の中すべてが便利さの追求に動いているようで、
人々の購入意欲を誘う便利な商品の開発が人の世の経済社会を刺激している。
IT技術の進歩はすさまじいから、これからますます顕著に人々の暮らしぶりを変えていく商品が開発されていくのだろう。
そして人々の暮らしはますます便利になっていくことだろう。

さて、この便利さ、そこには便利さゆえの快適さがもちろんある。
ただその快適さがはたして「幸福感」につながって行くのだろうかと疑問に思う。
携帯電話のなかった時代と比して、携帯電話を持つ現代社会ははたして、
人々の感じる幸福感を増したのであろうかと思う。
持つことに慣れ、なくてはならないものになった今、その携帯を手放すことはできなくなってしまったが、
携帯のもたらした負の側面を感じながらの生き方に私はそれによる幸福感を感じない。

SNSの功罪についても最近特に感じる。
ツイッター、フエイスブック、あまりに簡単にその場の瞬間の思いを公に知らしめるから、
誹謗・中傷・他者攻撃の文が人の目に触れることが多くなった。
感情に人間は左右される存在だから、そのときそのときいろんな思いを抱くのは当然だが、
すぐさまそれを文にして公にしてしまう負の側面に嫌気が差す。
立場のある人が軽い気持ちで発するであろう「つぶやき」に、人としての軽さを感じて幻滅もする。
日本人て、こんなに人を愚かな言葉で攻撃する民族だったのかと思い知らされると同時に、
これからの社会に生きていく人間にとっての功と罪を考えるとどうも罪のほうが目につく。

生まれたときからIT機器に囲まれて育っていくこれからの子供たち。
IT機器のなかった時代の生き方を想像することは難しくなっていくのだろう。
なかった時代の不便さを大変不便な生活だったのだろうと想像するのであろう。
その当時を生きた人間は決して不便さは感じていなかったという事実を受け止められるのであろうか。
なかった時代にはなかった時代の良さがあったということを受け止められるのだろうか。
やはり、便利さは受け取るだけのものでなく、代償に失っていくものもあるのだと心する必要があるのだろう。

創明館便り
この記事を書いた人
創明館 吉田

塾代表 吉田聡彦 : 練馬区高松(光が丘・夏の雲公園前)にある小学生・中学生・高校生向けのグループ/個人の学習塾を運営しています。
塾運営での想い、感じたこと、発信したいことなどを更新しています。

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