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2013年9月号 | 創明館便り

夏休みが終わった。練馬区立の中学校が2学期制になって、良かったと感じることの一つに、
「夏休みボケ」が9月に現れないことだ。
3学期制のころ、9月当初は長い夏休み明けということで、
また、夏期講習明けということでほっと気がゆるむ時期だった。
学習へのモチベーションも次の定期考査は10月半ばということでどうしても上がらない。
軌道修正に2週間くらいはかかったものだった。だが、2学期制の今は違う。
夏休みが終わるや10日あまりの後には前期の期末テストが控えている。
となれば、9月当初は試験直前。生徒のモチベーションも当然上がる。
周りの状況から上げざるを得ないともいえる。

「テストがあるからテストに備えて勉強をしなければならない」と考えるのが普通。
そのように考えるから「テストなんかなければいいのに」
「テストがなければ勉強しなくて済むのに」と考える生徒が出てくるのも普通。
では、テストがなければ勉強を苦と感じないですむのであろうか。
授業だけ受けて勉強していきさえできればそれで満足できるのであろうか。

そもそも「勉強・学び」をする必要がないと考える人はさて置いて、
人間の成長にとって「勉強・学び」は必要なことなのだと考えることのできる人にとって、
学校や塾で勉強をすることの意義は感じているはず。
その勉強をしていくこと、多くのことを学び知っていくことを、
テストのない世界で行っていくことは難しいことだということを考えたことはあるだろうか。

「試合があるから」「コンクールがあるから」「発表会があるから」等々、
いろんなモチベーションがあって「練習する」のであることは、部活等を通して経験していること。
「試合のない運動部」「コンクール・発表会のない文化部」となれば、
練習のモチベーションも得られにくいし、結果として自分自身の満足できる「スキルの向上」も得られない。
ひとの感じる喜びは、いっときの楽しさで得られるものより、
みずから自分自身をほめられる満足・達成感を得られたときのそれのほうがはるかに大きいことは知っていることだろう。
つまりは、試合があるから、コンクールがあるから、発表の場があるからこそ
本当の「喜び」が得られる機会があるということだ。

「テスト」も同じである。テストがあることで人は勉強をし、結果として学力も、知識も、知恵も習得していく。
小学校2年生で「九九」を習った。「九九」が言えるように何度も何度も練習した記憶は誰にでもあることだろう。
5の段、2の段から始まって8の段、9の段へと何度も唱え練習した。
そして、暗唱でのテスト、筆記でのテストを通して「九九」を自らの学力にしてきた。
合格という達成感の喜びも味わってきたのである。テストを通して学力は築かれていく。
同時に、喜びを得る機会も与えられているのである。

創明館便り
この記事を書いた人
創明館 吉田

塾代表 吉田聡彦 : 練馬区高松(光が丘・夏の雲公園前)にある小学生・中学生・高校生向けのグループ/個人の学習塾を運営しています。
塾運営での想い、感じたこと、発信したいことなどを更新しています。

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