「みんな若い」それが、まず頭に浮かんだ感想。
郷里の母親の「断捨離」を手伝って実家のかたづけをしているときにそれは出てきた。
およそ40年ぶりの「中学の卒業アルバム」との対面。
「見たいような、見たくないような」恐る恐る開く1ページ1ページに抱いた私の感想は「どの先生もみんな若い」。
自分を含め、クラスメートの面々、同窓の面々、
それらは当時の記憶のままの姿で私自身懐かしくそのままの姿で受け止められる。
だが、どうしたことか、どういうことなのか、「先生たちが随分と若い」のである。
「こんなに若かったっけ」この感想が、想像もしなかった私自身の感想であった。
当時の先生たちの年齢を自分が超えているであろう今だからこそ思う感想なのだろう、と、
思いもするがそれにしてもギャップが大きい。
当時の自分がとらえていた先生像と今の自分が抱く思いとのギャップは何なのか。
「先生」、やはりこの立場は大きな意味を持つということなのだろう。
子供にとって、親、親戚を除くあまたの大人たちの間できっと最も「大人」を意識する、
意識させられる存在、それが「先生」。
小学校から中学生へ、思春期の入り口で、大人社会への反発を感じていた当時であってさえも、
「大人」の存在の大きさ・尊厳を認めていたのだと思う。
認めるがゆえに抵抗し反発もできたのだと思う。
そんな先生たちも、今にして思うと「こんな若い先生だったんだ」と少し拍子抜けする。
あの圧倒的な存在感で生徒の前に立ちはだかった先生も、
その先生たちの年齢を大きく超えてしまうといろんな思いが湧き出る。
「あの先生のあの時の言葉」「あの先生のあの時の行動」子供にとって、
記憶に強く残るその言葉、行動の意味をじっくりと考えられるようになって、
当時とは違った思いになる。大人になって振り返ったときに思う当時の先生像、
それは子供のときのそれとやはり異なるのが当然なのだろうか。
そんなことを考えながら、わが塾業を考えてみる。
20代、開業当初、若気の至りで遮二無二なりつつ、突っ張りつつも振り回されていた当時。
塾の仕事に疑問を感じつつ、一つの観念に振り回されていた当時の自分。
30代、「自分には向かない」と思い考え、転業を考えあぐねていた日々。
そんな時をすごしながら28年、今こうして塾業を続けている。
思うに、生徒たちは、塾で出合う大人をどのような思いで見つめていたのだろう。………。
さてと、寒くなって凛とした星空のきれいさを感じる季節になりました。
大きく見上げなくても、歩きながらでも、オリオン座を中心とした冬の夜空は楽しめます。
考えてばかりいてもだめなのですね。
天空に目を向ける。ふっと息を吐く。
肩の力が抜けます。受験勉強追い込みに入ります。
力を抜くことができることも大切なことです。
ONとOFF、自分なりの力を抜くすべを見つけましょう。