「秋」になると本を読みたくなる。
何をするにも良いということで、
“〇〇の秋”という表現がいろいろとされる秋だけど
どちらかというとアクテイブ、
行動的な活動に適しているのかと思いがちであった。
でも、思うに確かに読書にも適している秋である。
大学時代の友人が
「中断していた『徒然草(つれづれぐさ)』、また読み始めている。
ようやくそんな気分になった」
などとメールしてきた。
古典文学に触れようとする彼の思いには及ばない。
でも何か“本物”に触れたいという思いは湧く。
「本だから本物」などということではなくて、
「本物と偽物」の“本物”ということである。
数百年にわたって読み継がれる書物には確実に“本物”があるのだろう。
人々の生活の大きく移り変わってきた時代の中で、
変わらず残ってきた“本物”である。
動物に、身体として生存し続けるのに必要な本能として備えられた「食欲」。
それを満たすための口から日々取り入れる「体の栄養源」。
そういった肉体維持のための「体の栄養源」だけでなく、
人間には、目や耳から取り入れる「心の栄養源」も必要なようだ。
このように感じる事自体、
もしかしたら人間に備わった「本能」なのかもしれないと思ったりもする。
「心の栄養源」の大切な一つが「本」であって、
そこに“本物”を感じたいという思いが高まる季節が秋のような気がする。
そういえば、昨年同じ友人がこんな歌を紹介してくれていた。
『おしなべて ものを思わぬ ひとにさえ 心をつくる 秋の初風』(西行)