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2008年11月号 | 創明館便り

私が小学生の時の父親の行動が当時の私から父親を尊敬するという気持ちを失わせてしまった。
特に父親にかわいがられているとか、愛されているとかそんなことは感じることも
また感じることの必要性も思っていなかったので、別段特に気にすることでもない出来事なのかもしれなかったが、
今でもはっきり脳裏に残っている父親を尊敬できなくする出来事があった。
「こんな父親認められないや」と感じた出来事があった。心の中で父への思いの一部分が壊れてしまった。

中学高校と私は思春期らしく家庭の中でその居場所を自分の部屋に求めていった。
なにやらいろいろと話をしてくる父親との夕食は居づらく感じることが多く、
無理にとしか思えない何かを話してくる父が私にとって心地よい夕食の場を与えてくれはしなかった。
そんな時私は、ともかく早く空腹をしのぎ、自分の部屋に戻って自分の時間を過ごすことで落ち着くことができた。
高校を卒業して、東京に出てきて家庭から離れ暮らすようになるまで、私にとって家庭は早く離れたい場であり続けた。
そして家庭を離れて私が一番最初に気づいたことは、
「家庭の中にいて家庭を見つめることはできなかった」ということだった。

私は家庭を離れて、初めて自分の家庭を外から眺め、自分なりのわが育った家庭を思い感じた。
 入学、入社面接などの質問で「あなたの尊敬する人は?」と尋ねられて
「父親です」と答えるのが良いなどということが言われたときがあった。
私にはまったく理解できなかった。自分の父親を尊敬する気持ちは当時の私にはなかった。
私自身を認めてくれて私の決めたことをいつも肯定的に受け止めてくれる父親に対して
私自身大きな安心感をもらっていたと思うが、父に対して尊敬の念は持たなかった。

東京で暮らすようになり、帰省の折、父親がなにやら、はにかんだような笑顔で出迎えてくれるのを私は心地よく感じていた。
別段意識していたわけではないが、やはり自分を認めてくれる人と触れ合うことでとても大きな安心感をもらっていた。
そして当時の自分と父親が立場が変わって、私が親として子供から見られる今、
私ははっきりと自分の父親の大きさ、偉大さ、優しさを感じる。
自分が子供を持ち、その子供が働きかけてくる親である私自身へのストロークに対して、
私は当時の私の父親のように対しきれないでいる。
かつて私は、いろんな点で父親を超えたと思える自分を感じていた。
だけど今、親として子と向き合った時、明らかにはっきりと私は父を超えられなかったと感じる。
父親として20年以上生きてきて、子供が大きくなった今、自分の父親の大きさを感じている。
親になって親のありがたみを知るとはよく言われること。確かにそうだと思う。 (吉田)

創明館便り
この記事を書いた人
創明館 吉田

塾代表 吉田聡彦 : 練馬区高松(光が丘・夏の雲公園前)にある小学生・中学生・高校生向けのグループ/個人の学習塾を運営しています。
塾運営での想い、感じたこと、発信したいことなどを更新しています。

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